プロ野球ドラフト会議1995年-2004年  2001年(自由枠)導入。1995年福留孝介が7球団指名重複。1998年松坂と上原の(松坂世代)。

ドラフト史

1995年プロ野球ドラフト会議

中日か巨人を希望していた福留孝介に対し意中球団の巨人、中日だけでなく、ヤクルト、近鉄、日本ハム、ロッテ、オリックスの意中外球団も指名し、計7球団が競合指名。高校生選手への指名としては1985年の清原和博の6球団を超える7球団の競合となった。抽選の結果、近鉄が交渉権を獲得した。しかし福留はドラフト会議前から「巨人と中日以外からの指名ならば社会人野球へ」と宣言しており、実際に入団を拒否し、日本生命に入社した。

ダイエー 1位  斉藤和巳  南京都高校  79勝23敗  防御率333          2006年に、日本プロ野球史上7人目・21世紀初・平成唯一投手5冠を達成した。パシフィック・リーグ史上初の沢村栄治賞複数回受賞者(2回)。最優秀投手賞3回。初回でもアウト一つを奪うたびにえるなど、気持ちを全面に押し出すピッチングで、オーバースローから投げる平均球速約144km/h、最速153km/hのストレートスライダー、緩やかなカーブ、2種類のフォークボールを武器とし、まれにカットボールチェンジアップも交えた。

中日 1位  荒木雅博  熊本工  2045安打34本塁打378盗塁  打率268     井端弘和と守備で二遊間、打順では1・2番を組んでいたことから、井端と共に「アライバコンビ」と呼ばれた。井端と共に2004年から2009年まで6年連続でゴールデングラブ賞を受賞した二塁守備の評価が高く、遊撃手から再コンバートされた2012年はトンネルやファンブルといった失策も目立ったが、この年はそれでも守備イニング1000以上の二塁手で両リーグ3位のUZR6.8を記録。

巨人 2位  仁志敏久  日本生命  1591安打154本塁打  打率268         シーズン途中から三塁手に定着。打率.270、7本塁打、24打点を記録し、巨人の野手では原辰徳以来15年ぶりのセ・リーグ新人王受賞。巨人の野手の新人王は2009年に松本哲也が受賞するまで10年以上現れなかった。

1996年プロ野球ドラフト会議

アトランタオリンピックが行われた年で、井口忠仁今岡誠谷佳知松中信彦ら銀メダルに貢献したメンバーが上位で指名された。他にも小笠原道大和田一浩岩村明憲森野将彦小坂誠柴原洋礒部公一など後にチームの主力打者に成長するメンバーが指名され、特に打者の人材は当たり年のドラフト会議であった。

ダイエー 1位  井口資仁  青学大  2254安打295本塁打  打率270       ダイエー時代の監督である王貞治によると右方向への長打が特徴である。メジャーリーグではクリーンアップへの繋ぎを求められる2番での出場が多かった。ホワイトソックス時代はチームの方針からほぼ毎打席1ストライクを捨てながらも20本近い本塁打を放ち、A.J.ピアジンスキーから「打順が変われば、25本塁打まで打てる力がある」と言われ、他チームのスカウトマンたちからも「2番ではなく、6番を打たせれば、30本塁打まで打てる力がある」と長打力が高く評価されていた。ロッテ移籍当初は4番や2番で出場したが、後に3番に定着した。2010年には12チームトップのIsoD.118を記録するなど、ロッテ移籍後は選球眼に磨きがかかり、また、同年は外角打率.313で12本塁打を放つなど、外角に強さを発揮した。

ダイエー2位松中信彦新日鉄君津1767安打352本塁打打率296

インパクト時に利き手を押し込む打撃から放つ長打力を最大の武器としており、小久保裕紀がアッパースイングで打球を高く上げるのとは対照的に、バットをボールの下に潜り込ませることで逆回転のスピンを与え、そこからさらに若干芯をずらすことにより、ファウルゾーンに切れることなく飛距離のある打球を放つ。2001年には松坂大輔からバットを折りながら本塁打を放った。

また、内角を捌くのが上手く、球界屈指とも呼ばれた。

さらに左打者でありながら左投手も苦にしない上、ホームランバッターでありながら三振が少なく、シーズン100三振以上したことがない。特に2006年は37個と自己最少だった。選球眼が良く、2006年には102個を含む2度のリーグ最多四球をマーク。通算のBB/K(四球÷三振)は1前後を推移した。

西武 4位  和田一浩  神戸製鋼  2050安打319本塁打  打率303         バットを上段に構えて上下に揺らし、極端なオープンスタンスから左足を高く上げ、全身を回転させるようにしてバットを背中の後ろまで一気に振り抜く、独特のフォームから弾き出す安定した打撃が特徴。いわゆる「掬い上げ打法」。中日移籍後から2010年までの通算の対右打率.315を残しており、左投手に対しても.310と左右を苦にしない上に目立った苦手コースもなく、独特の打撃フォームも手伝って右方向への打球が非常に良く伸びる[44]。本人は「軸足に10割」「右半身に感覚を集中」と引退後に説明しており、摺り足打法も試したこともあったが体重が前足に乗って突っ込んでしまうのでやめたという。

日ハム 3位  小笠原道大  NTT関東  2120安打378本塁打  打率310     2005年を除いて2000年から2010年まで打率.300以上を記録したアベレージヒッターでありながら、コンスタントに30本以上本塁打を打つ長打力も持ち合わせていた。現役晩年は統一球と怪我に加え、加齢による衰えの影響で成績が大きく落ち込んだが、通算打率は歴代9位(.310)、通算RCWINRC27傑出度(4000打席以上)は歴代10位にランクインするほどの強打者である。 3割30本を9回達成し、これは王貞治に次ぐ歴代2位の記録である。また11年連続OPS.900超えという記録は王貞治、落合博満に次ぐ歴代3位の記録であり、長年にわたって安定した成績を残し続けた。

オリックス  2位  谷 佳知  三菱自動車岡崎  1928安打133本塁打 打率297

早いカウントから打ちにいく積極性を持ちながら、追い込まれた後でもミートできるバットコントロールを持ち味とし、三振が少ない。2003年には2ストライク後打率.351を記録。カウントによっては狙い打ってスタンドまで運ぶ長打力も兼ね備え、得点機にも強く巨人移籍後2010年までの通算得点圏打率.332を誇る。

巧みなバットコントロールで球種に関わらず打球を広角に打ち分ける技術を持ち、特に右方向へ流し打つ技術は球界屈指と言われる。内角球への対応にも優れ、左足に軸足を置いた最初から外側を向いている体勢で打席に立ち、右足を引くような独特のフォームで内角球に対応する。

1997年プロ野球ドラフト会議

第79回全国高等学校野球選手権大会で準優勝した平安高の投手、川口知哉をオリックス、近鉄、ヤクルト、横浜の4球団が競合指名し、オリックスが交渉権を獲得した。また2位でも新沼慎二をヤクルト、横浜、日本ハムの3球団が競合し、横浜が交渉権を獲得。逆指名制度が導入されてからは初となる2位での抽選となった。

中日 1位  川上憲伸  明大  125勝98敗 防御率337               現役時代は主に、NPBセントラル・リーグ)の中日ドラゴンズでエース投手として活躍した。2002年8月1日には、東京ドームで開催された対読売ジャイアンツ(巨人)20回戦でノーヒットノーラン(無安打無得点試合)を達成しているが、これは21世紀のNPBでは初のノーヒットノーランである。また、対巨人戦でノーヒットノーランを達成した投手は2022年終了時点で、川上が最後である。

中日 5位  井端弘和  亜大  1912安打56本塁打  打率281           打撃では、2001年から2011年までは主に2番打者として起用され、荒木が不調の場合は井端が1番に入ることもあった。また、監督の方針により3番、5番、6番などの打順を任されることもあった。柔らかいリストワークを生かしたバットコントロールの良さを持ち味とする。大きく左足を上げるバッティングフォームだが、タイミングやステップを微調整するため対応力が高い。

巨人 1位  高橋由伸  慶応大学  1753安打321本塁打  打率291       「天才」と称されることがある高い打撃技術と天性のタイミングの取り方を持ち味とし、早打ちの傾向があるため初球から積極的にスイングするが、右足を高く上げる一本足打法でどんなボールにもフォームを崩さずに安定した対応ができる柔軟さを併せ持ち、多少のボール球でも安打を放つことができる技術を誇る。ファウル打ちの技術にも優れ、外角の球にも強く広角に打球を打ち分ける技術を持つ。

ヤクルト 2位  五十嵐亮太  敬愛学園  70勝41敗70セーブ 防御率320       ヤクルト時代は平均球速約151 km/h、当時の日本記録の最速158 km/hを記録したストレートを武器にセ・リーグの速球王として人気を博し、同僚の石井弘寿と共にロケットボーイズの愛称で呼ばれた。リリーフ登板のみで前半戦11勝を記録した2000年を始め、勝ち星に恵まれたシーズンが多く、スワローズの公式ホームページでは「勝利の女神が惚れた男」というキャッチフレーズを付けられたこともある。メジャーでは記録した5勝すべてが、1/3回の投球での勝利という幸運ぶりであった。

1998年プロ野球ドラフト会議

横浜高校の甲子園春夏連覇に貢献し、「怪物」と呼ばれた松坂大輔を日本ハム、西武、横浜の3球団が競合指名し、西武が交渉権を獲得した。

西武は後藤光貴を5位で指名したが、直前にダイエーが同じ大和銀行の水田章雄を指名していたため、「事前承認なしに同一チームから2人以上の投手を指名できない」と定めた野球協約第135条2項に反するとされ、指名無効の措置を受けた(西武が事前に大和銀行から了承を得ていなかった)。なお、後藤は翌1999年度のドラフト会議で改めて西武の7位指名を受けて入団した。

西武 1位  松坂大輔  横浜高  170勝108敗  防御率353

第1次西武時代は「平成の怪物」と呼ばれた。21世紀初の沢村栄治賞受賞者。ゴールデングラブ賞をパ・リーグ投手最多記録となる7回受賞し、3年連続ベストナインにも輝いた。2006年2009年WBCではエースとして日本代表に貢献した。

1998年春の甲子園優勝、2度のパ・リーグ優勝、1度の日本シリーズ優勝、1度のワールドシリーズ優勝、2度のワールド・ベースボール・クラシック (WBC) 優勝を経験している。アテネオリンピックの銅メダリスト。

巨人 1位  上原浩治  大体大  134勝93敗128セーブ  防御率294       元メジャーリーガーで、2013年にはMLBで日本人初のリーグチャンピオンシップおよびワールドシリーズ胴上げ投手ともなった。NPB時代に20世紀最後の沢村栄治賞受賞と投手三冠王を達成。最高勝率を3回獲得(セ・リーグ最多タイ記録)している。日米通算100勝100セーブ100ホールドを達成した唯一のアジア人である。

阪神1位藤川球児61勝39敗245セーブ防御率218

オーバースローの投球フォームで、全盛期には平均球速約149km/h、最速156km/hを記録していたストレートを最大の武器とし、変化球はフォークカーブスライダーを操った。

ストレートは打者の手元で浮き上がるように「伸びる」のが特徴であり、その球筋・球威から「火の玉ストレート」と称された。

中日 1位  福留孝介  日本生命  2450安打327本塁打  打率280

1999年NPBセントラル・リーグ)の中日ドラゴンズへ入団し、2007年まで在籍。その間、首位打者を2回(2002年および2006年)、リーグ最優秀選手 (MVP)を1回(2006年)獲得。2003年・2006年にはシーズン30本塁打以上を記録したが、中日球団が本拠地をナゴヤ球場からナゴヤドームに移転した1997年以降、2021年までに30本塁打以上を記録した生え抜きの日本人打者は、福留が唯一である。アトランタオリンピック野球の銀メダリスト、アテネオリンピック野球の銅メダリスト。

2008年 – 2012年MLB2013年 – 2020年はセ・リーグの阪神タイガース2021年 – 2022年は14年ぶりに復帰した中日ドラゴンズでプレーしていた。

中日 2位  岩瀬仁紀  NTT東海  59勝51敗407セーブ  防御率231        現役時代は、1999年 – 2018年まで20年間にわたって地元・愛知県に本拠地を置くNPBセントラル・リーグ)球団の中日ドラゴンズに在籍した。NPBにおける最多登板(1002登板)および通算セーブ数記録保持者(407セーブ)。NPB最多タイ記録となる最多セーブ投手を5回、最優秀中継ぎ投手を3回獲得している。アテネオリンピック野球の銅メダリスト。

1999年プロ野球ドラフト会議

近鉄 5位  岩隈久志  堀越  170勝108敗  防御率331              日本プロ野球(NPB)ではパシフィック・リーグ(パ・リーグ)の大阪近鉄バファローズ東北楽天ゴールデンイーグルスでエースとして活躍し、メジャーリーグベースボール(MLB)へ挑戦。MLB時代にはアジア人として野茂英雄以来2人目となるノーヒットノーランを達成した。アテネオリンピック野球の銅メダリスト。

2000年プロ野球ドラフト会議

シドニーオリンピックが行われた年で、山田秋親阿部慎之助ら五輪代表選手が上位で多く指名された。横浜を除く11球団が投手または捕手を1位指名したため、横浜の内川聖一が20世紀最後のドラフト1位外野手となった。また巨人志望の内海哲也オリックスが指名したが、2度の交渉でも内海の意思は変わらず入団を拒否し東京ガスに入社した。この入団拒否について、仰木彬監督が指名直後に直接電話したことで内海の心境は揺らいだが、巨人が敦賀気比高で内海とバッテリーを組んでいた李景一を8位指名したことが、内海の巨人入りへの思いを強める結果になったとされている。

阪神 4位  赤星憲広  JR東日本  1276安打3本塁打381盗塁  打率295     球界を代表するスピードスターとまで言われていた。一塁到達まで3.74秒、バント時には3.50秒を記録する元来の足の速さに加え、「球界で最も速いレベル」と言われた盗塁時のスピードが持ち味[114]。巨人で一軍投手総合コーチを務めていた尾花高夫には「誰が1番を打っても、存在感としては赤星の3分の1にも満たないんじゃないか」と言われた。

横浜1位内川聖一大分工2186安打196本塁打打率302

NPBにおける右打者史上最高打率記録保持者(.378。2008年)、史上2人目の両リーグでの首位打者及び最多安打獲得者、歴代4位タイ(右打者としては落合博満と並び1位タイ)の7年連続打率3割達成者、通算で8回の打率3割達成者(歴代14位タイ)であるなど、日本球界を代表するアベレージヒッターである。

クライマックスシリーズ(CS)では安打、本塁打、打点の通算記録で歴代1位を記録し[1]、最多となる3回のMVPを受賞、日本シリーズでもMVP1回、優秀選手1回を受賞するなど「短期決戦の鬼」「ミスター短期決戦」の異名を持つ。

巨人 1位  阿部慎之助  中大  2132安打406本塁打  打率284         強打、強肩の捕手として知られ、基準違反統一球が導入されていた2011年から2012年において両リーグ最高打率となる.318、同OPS.935を誇った。スイングを始めてから腰を捕手方向に捻るツイスト打法により緩急に対応し、内角の球も切れずにスタンドに運ぶ技術を持つ。

2001年プロ野球ドラフト会議

第83回全国高等学校野球選手権大会で最速154km/hを記録した日南学園高校寺原隼人を、巨人、中日、ダイエー、横浜の4球団が競合指名し、ダイエーが交渉権を獲得した。巨人は1995年以来6年ぶりに自由獲得枠(前年度まで逆指名)を使用せず高校生を1巡目指名した。また巨人が競合によりくじを引いたのも、同じく6年ぶりだった。巨人は、当初は青山学院大学石川雅規を自由獲得枠で獲得する方針だったが、長嶋茂雄監督(当時)の意向で、寺原への指名に方針転換した。巨人は、寺原をくじで外したために、姫路工業高校真田裕貴を外れ指名で獲得した。石川には、 近鉄も獲得に乗り出していたが、結果的にヤクルトへ入団した。

西武 2位  中村剛也  大阪桐蔭   1698安打454本塁打  打率254

一部メディアから「究極」と評される天性のホームランバッター。

本塁打を放つ際、美しい放物線を描くことから「ホームランアーチスト」と称され、本人も「7割の力でもスタンドへ運ぶことが出来る」と自負する長打力が持ち味。外野へのフライの30パーセント近くを本塁打にする。

落合博満は「中村の本塁打の打ち方は理にかなってる。あの打ち方は他の人も真似して良い。教科書通り」と語っているほか、元西武のコーチの光山英和は、「今まで清原(和博)とか、秋山(幸二)さんとか、石井(浩郎)さんとか、色んなホームランバッターを見てきたけど、ホームランを打つことに関しては、あいつが断トツ。ボールの飛び方が全然違う。ちょっと次元が違うね。ああいうのが、ホンマのホームランバッターって言うんやと思う」と評している。2016年シーズンまで、規定打席に達した年は全て本塁打王を獲得していた。

西武 4位  栗山巧  育英高校  2086安打120本塁打  打率280

手元までボールを呼び込みバットを振り切る打撃を持ち味とし、選球眼、出塁能力、投手に球数を費やさせる能力に優れる。

藤井康雄は栗山について「実に嫌らしいバッターに成長しましたね。粘っこいし、広角に打ち分ける技術を持っている。またボールを呼び込んで打つタイプなので三振が少なく、どんなボールにも対応することができる。」などと評している。

ダイエー 3位  杉内俊哉  三菱重工長崎  142勝77敗  防御率295

投手としては比較的小柄であり、ゆったりと脱力したフォームからボールをリリースする際に力を爆発させるように投げ込む。走者無しの状態からでもセットポジションで構え、投球前には腕を上げて余分な力を抜き、投球時に膝の前で両手を叩き合わせるのがルーティンになっている。

スリークォーターから投じるストレートは平均球速約140km/h、最速150km/h。変化球はスライダーチェンジアップ(中指を浮かせて4本の指で球を握る)、カーブを投げる。本人も「追い込んだら狙っている」という三振を奪う投球スタイル。

ヤクルト 1位  石川雅規  青学大  183勝180敗  防御率388

スリークォーターからスライダーシンカーカットボールシュート、稀にカーブチェンジアップなど、多彩な変化球で打たせて取る投球が持ち味であり、球界を代表する技巧派投手の一人と称される。基本的に速球は平均球速約135km/h、最速140km/hと遅いため、変化球のキレとコマンド力で補っている。ストライクを取る能力に非常に長けていて四球が少なく、通算与四球率1.81を記録している。これは1000投球回以上の現役選手の中では4位の記録である。

2008年の日本シリーズでの岸孝之の活躍に刺激を受け、オフに90km/h前後のスローカーブを習得。「カツオカーブ」と名付ける。カツオカーブの名は本人のあだ名と、の泳ぐ速さがおよそ時速80kmであることからきている。

2002年プロ野球ドラフト会議

松坂世代」の大学生が卒業する年度ということもあって有力選手が多く、投手は和田毅新垣渚木佐貫洋永川勝浩など、野手は後藤武敏村田修一などが上位指名を受けた。横浜は多田野数人を自由獲得枠で指名する予定だったが、諸般の事情を総合的に検討して指名を見送った。

横浜 1位  村田修一  日大  1865安打360本塁打  打率269

広角打法を心得ており、右方向にも本塁打を放つ技術がある。2011年は本塁打の35パーセントを右方向に放った。

構えの際はあまり頭を動かさないことを大事にしている。

三塁守備は巧みなグラブ捌きや体型に見合わぬ軽快なフットワーク、安定した送球に定評があり、名手とも称される。巨人所属時代は当時の監督だった原と高橋由伸の両名からも信頼されており、ゴールデングラブ賞を3度獲得した。

ロッテ 1位  西岡剛  大阪桐蔭  1241安打61本塁打  打率284         生来は右打者で小学校 – 中学時代に左打者に転向し高校時代までは右投左打、その後左打から両打になるという経緯でスイッチヒッターとなった。俊足の一番打者がよく試みる三塁線へのセーフティバントは少ないが、代わりに一・二塁間へのプッシュバントを試みることが多く、2005年の日本シリーズ第1戦や2006年のWBCの決勝戦などの大舞台でも成功させている。

ダイエー 1位  和田毅  早大  155勝86敗  防御率318             フォロースルーに入ってからも踏み出した足の膝を閉じる安定した下半身を持っている。球の出所が分かりにくいオーバースローから[108]平均球速約139km/h、最速149km/hのストレートとスライダーチェンジアップカーブツーシームを投げ分ける。スライダーは横変化だけでなく縦変化のものも駆使し、2010年までは被打率1割台を記録するフォークも交えていた。NPBでの通算与四球率2.41とボールをストライクゾーンに集める制球力がある一方で逆球も多い。

2003年プロ野球ドラフト会議

大阪近鉄バファローズにとっては最後のプロ野球ドラフト会議となった。 選択手順は自由獲得枠選手を2名まで獲得可能とし、自由獲得枠2名獲得の球団は1巡目、2巡目、3巡目の選択権はなし。自由獲得枠1名の球団は1巡目、3巡目の選択権がなし。自由獲得行使がない球団は2巡目の選択権がなし。

日ハム 1位  糸井嘉男  近大  1755安打171本塁打300盗塁  打率297

プロ入り後に投手から野手へのコンバートに成功した選手として知られ、日本を代表する5ツールプレイヤーであり、2009年から2014年にかけて史上初の「6年連続打率3割・20盗塁ゴールデングラブ賞受賞」を達成している。

しかし、2015年は膝の故障によりその全てが途絶え(本塁打は17本を記録)、レギュラー定着後最低のシーズンとなったが、オフに左膝の改善を図り、自身から採取した血小板を使って組織の修復や再生を図るPRP注射と呼ばれる治療を受けた。すると翌2016年には再び打率.306と53盗塁(盗塁王を受賞)を記録し、ゴールデングラブ賞を受賞。また17本塁打・70打点(共にキャリア2位)を記録。復活を果たし、年を重ねるごとに進化している。

ヤクルト 4位  青木宣親  早大  2648安打175本塁打  打率307         卓越したミート感覚で安打を量産し、2ストライク後の打率は2007年には両リーグ通じて1位、2010年にもリーグ1位を記録。「強く振ること」を心がけ、2006年からは2桁本塁打を記録する長打力も備えた。プロ入り当初は左投手を苦手としていた。また2013年にはシーズン途中時点で三振率両リーグトップを記録し、ブルワーズ時代に監督を務めていたロン・レニキーから「天賦の才を持っている。あんなに手と目をうまく連動させる選手は、これまで見たことがない」と絶賛された。

巨人 1位  内海哲也  東京ガス  135勝104敗  防御率324           スリークォーターから投げる平均球速約139km/h、最速148km/hのストレートツーシームスライダースラーブ)、縦に落ちるカーブスクリューチェンジアップ)、カットボールなど多彩な変化球を決め球に投球を組み立てる。加えて2011年シーズン開幕前にフォークボールの習得に挑戦している。

2004年プロ野球ドラフト会議

2004年に新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスにとって初、また、ドラフト後にソフトバンクへの身売りが正式に決定する福岡ダイエーホークスにとって最後のドラフト会議となった。辻本賢人がドラフト史上最年少となる15歳で指名を受けている。

投手の当たり年と言えるドラフトで後にチームの開幕投手を担った投手を7人(涌井秀章、ダルビッシュ有、金子千尋、能見篤史、久保康友、一場靖弘、東野峻)輩出している。

オリックス 1位  金子千尋  トヨタ自動車  130勝94敗  防御率308

スリークォーターから平均球速約144km/h、最速154km/hのストレート、先発転向後精度が向上した縦のカーブスライダーカットボールツーシームチェンジアップスプリットフィンガード・ファストボールパワーシンカー、まれにワンシームを投げ分ける。

四球が少なく、与四球率は2018年までの通算で2.09と優秀な数値を記録。オリックス時代には、2008年から3年連続で1個台にとどめていた(2008年1.85、2009年1.78、2010年1.94)。

日ハム 1位  ダルビッシュ  東北高校  188勝112敗  防御率281       NPB時代に5年連続防御率1点台を達成。MLBではアジア人史上2人目の最多勝利(日本人史上初)と最多奪三振(日本人史上2人目)を獲得している。スリークォーターから平均球速94.5mph(約152.1km/h、2021年シーズン)、レギュラーシーズンでの最速99mph(約159.3km/h)のノビのある速球(フォーシーム、ツーシームワンシーム)と、数種類のスライダーカットボール(カッター)、球速の違う数種類のカーブ、数種類のフォークボールスプリッター)、まれにチェンジアップなど多彩な変化球を投げ分ける。

西武1位涌井秀章横浜高154勝143敗防御率357

投球フォームはスリークォーター。球持ちが良くバランスの取れたフォームからキレの良い速球と多彩な変化球を投げる本格派右腕。豊富な走り込み量によって培われた強靭な足腰を持ち、9回でも140km/hを越える球速を計測できるスタミナを備える。江夏豊は「フォームのバランスの良さでは涌井は今の日本球界において3指に入るだろう。他の投手と比べても、打者寄りでボールを離しているように見える。下半身の粘りがなければあれだけ長くボールを持った投球というのは難しいものだ」と述べている。

ストレートの最速は152km/h。1試合での平均は142km/h程。2012年にクローザーとして起用された際の平均球速は145km/hを記録した。

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