プロ野球 昭和ベストナイン  野手  3000本安打、世界のホームラン王、世界の盗塁王、など豪華レジェンド

ベストナイン

1番 DH   張本勲   ロッテ       3085安打504本塁打319盗塁 打率319

NPB唯一の通算3000安打達成者で、通算安打のNPB記録保持者(3085本)。またNPB唯一の500本塁打300盗塁達成者。さらに史上最多の16度のシーズン打率3割、史上最長の9年連続打率3割のNPB記録保持者。NPBで最多タイ記録となる首位打者を7回獲得。パ・リーグ最多記録となる最高出塁数(現在の最高出塁率)を9回獲得している。またパ・リーグ初の最多出塁数を獲得している。

2番  センター   福本豊  阪急ブレーブス    2543安打 208本塁打  1065盗塁  打率291

通算盗塁数およびシーズン盗塁数の日本記録保持者(いずれもMLB記録を超えた時期がある)で、「世界の福本」 「世界の盗塁王」の異名を持つ。

現役通算2543安打、通算208本塁打を記録した確実性とパンチ力を兼ね備えた打撃を持つ。通算1065盗塁とシーズン106盗塁、通算299盗塁死、通算115三塁打は全てNPB歴代1位を記録。NPB最多記録となる盗塁王を13回獲得、NPB最多記録となるダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)を12回受賞している。またパ・リーグ初の外野手部門のダイヤモンドグラブ賞も受賞している。俊足、主に中堅手として足を生かした広い守備範囲を誇る外野守備で、長池徳二山田久志加藤秀司らと共に阪急黄金時代の主力として活躍した。

3番  サード 長嶋茂雄  巨人       2471安打  444本塁打  打率305

長きにわたり巨人の4番打者として活躍。その闘志あふれるプレイ、チャンスや大舞台における無類の勝負強さで多くの国民を熱狂させた。同時代に活躍した王貞治とはともに「ON砲」として称され、2人のバッティングは巨人のV9に貢献した。日本のプロ野球において400本塁打・2000安打の同時達成は大卒では史上初である。NPB最多記録となる最多安打を10回獲得、セ・リーグ最多記録となる首位打者を6回獲得。

4番   ファースト  王貞治  巨人    2786安打 868本塁打  打率301

史上3人目・セ・リーグ初の三冠王達成者。世界記録となるレギュラーシーズン通算本塁打868本を記録し、読売ジャイアンツV9に貢献した。シーズン四球(158個)、シーズン敬遠(45回)、シーズン出塁率(.532)、シーズンOPS(1.293)、通算得点(1,967点)、通算塁打(5,862塁打)、通算打点(2,170打点)、通算四球(2,390個)、通算敬遠(427回)、通算出塁率(.446)、通算長打率(.634)、通算OPS(1.080)のNPB記録保持者。NPB史上歴代3位のシーズン最多本塁打記録保持者(55号、NPBのアジア人としてはNPB史上歴代2位)。NPB最多記録となる本塁打王を15回、打点王を13回、最多出塁数(現在の最高出塁率)を12回を獲得、NPB最多記録となる最優秀選手を9回受賞している。セ・リーグ最多記録となるベストナインも18回受賞している。またセ・リーグ初の最多出塁数を獲得、セ・リーグ初の一塁手部門のダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)を受賞している。

5番  ライト  門田博光  南海          2566安打 567本塁打 打率289

1970年は開幕から2番・右翼手として起用され53試合に先発出場、俊足・強肩・好打の中距離打者として頭角を現す。

1971年にレギュラー定着。主に3番打者として打率.300(リーグ11位)、31本塁打、120打点を記録し打点王を獲得、初のベストナインに選出される。同年に打撃フォームを王貞治を参考にした一本足打法に改造した。

6番  レフト  若松 勉  ヤクルト        2173安打 220本塁打 打率319

ヤクルトアトムズ・スワローズで長きにわたって活躍し、引退後はヤクルトで打撃コーチ・二軍監督・監督を務めた「ミスタースワローズ」。広角に打ち分ける巧みなバッティングで高打率を残し、小柄な体格ながらも通算220本塁打を放つなど、数々の記録を打ち立てた事から「小さな大打者」の異名を持つ。

2020年終了時点で、NPBで通算6,000打席以上の中で打率1位(4,000打席以上では3位、日米通算では4位)。年間打率3割12回は川上哲治と並んで歴代3位。

7番 キャッチャー 野村克也 南海ホークス   2901安打 657本塁打 打率277

史上2人目・パ・リーグ初の三冠王達成(世界のプロ野球史上初の捕手による三冠王)、選手出場試合数歴代2位、監督出場試合数歴代3位、通算本塁打数歴代2位、通算安打数歴代2位、通算打点数歴代2位、通算塁打数歴代2位、通算打席数1位(11970打席)、通算打数1位(10472打数)、通算犠飛数歴代1位(113犠飛)、通算併殺打1位(378併殺打)、最多記録となるベストナインを19回受賞、パリーグ最多記録となる本塁打王を9回獲得、打点王を7回獲得、パリーグ最多記録となる最優秀選手を5回受賞などの記録を持つ。

8番 ショート  吉田義男  阪神      1867安打66本塁打350盗塁 打率267

華麗で俊敏な遊撃守備は、「捕るが早いか投げるが早いか」「蝶が舞い蜂が刺す」「史上最高の遊撃手」などの賞賛をうけ、その身のこなしから「今牛若丸」と呼ばれた。その守備力は、17年間の現役生活で15度のリーグ最多守備機会を記録し、1試合15守備機会、シーズン94併殺など数々のリーグ記録、日本記録を更新した。1955年日米野球では全日本チームのメンバーとして出場し、ニューヨーク・ヤンキース監督のケーシー・ステンゲルから「(吉田の守備は)メジャーリーグでも通用する」と称賛を受けている。

9番 セカンド  高木守道  中日      2274安打236本塁打360盗塁 打率272

主に打低投高だった時代に活躍し、通算236本塁打は二塁での先発出場率が90%を超えている選手中では歴代最多である。レンジファクター系指標による二塁守備は通算でプロ野球史上歴代最高値を出している。規定打席到達15シーズン中一桁本塁打だった年は3回だけ、24本塁打した年もあり、長打力をも備えたリードオフマンとして打線を牽引し続けた。

野球誌やテレビ番組などでの「プロ野球歴代ベストナイン」等の企画では、プロ野球史上最高の二塁手として高木が選出されたことがある。高木は二塁手として2179試合・11477守備機会・5327刺殺・5866補殺・284失策・1373併殺という通算守備記録を残している(すべて二塁手プロ野球歴代1位)。